01 INTERVIEW
かせきさいだぁ、ヒップホップのアプローチでポップスを唄う
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かせきさいだぁ「かせきさいだぁ≡」
ワタナベイビー 公式ブログ
アズテック・カメラ(Aztec Camera): ネオ・アコースティック・サウンド(ネオアコ)の中心的核をなすグループと位置付けられており、ギターポップ的な指針を示した最も大切なグループの一つである。 (Wikipediaより)――そして、ファーストアルバム『かせきさいだぁ(1995年10月インディーズ盤発売/1996年9月メジャー盤発売)』は、日本語ヒップホップの金字塔でありながら、いわゆるヒップホップの文脈からは遊離しているようにも思えます。
- かせきさいだぁ
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実は、ファーストの頃にはすでに「ヒップホップのアプローチでポップスをやりたい」と考えていたんです。たとえば、「冬へと走りだそう」なんかそれが顕著で、これはワタナベイビー(ホフディラン)にアズティック・カメラを一度だけ聴かせて、うろおぼえで作ってもらった曲です。「こんな感じでよろしく」「もう一度聴かせて!」「ダメ!」みたいな(笑)。
一般的にヒップホップは16小節単位でトラックを組み立てるものなので、いわゆるポップスにおけるAメロ・Bメロ・サビみたいな考え方はしないんです。でもワタナベイビーは、ポップスのミュージシャンなので、Aメロ・Bメロ・サビみたいな構造でコードを使って組み立てるんですね。「そっか、バンドの人はこんな風に曲作るんだな」と新鮮に感じつつ、そのポップスの展開にラップを当てはめてみたのです。サビ扱いの歌詞を、何度も歌ったりして。
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――「ヒップホップのアプローチでポップスをやる」というのは、実は今作「ミスターシティポップ」でも横たわっている発想ですよね。今作でその「冬へと走りだそう」をセルフカバーしているのも、ミッシングリンクをつなぐ意味があるかもしれませんね。
- かせきさいだぁ
そうそう、この「冬へと走りだそう」は、また別のつながりを生んだんです。当時「LBまつり」が開催されていた下北沢のZOOというクラブ(現SLITS)は、曜日ごとに音楽ジャンルをわけていたんですけど、ある時店長の山下直樹さんに「かせきは、ヒップホップってだけじゃないし、他の曜日のイベント出ても面白いんじゃないか」と誘ってもらって、実際にいろいろなジャンルに出演していたんですね。
その日は米国音楽って雑誌のネオアコのイベントでした。リハーサルで「冬へと走りだそう」を演奏したら、当時ブリッジというバンドとカジップルズというソロをやっていたカジ(ヒデキ)君が、駆け寄ってきて。「なんでヒップホップの人がネオアコやっているんですか?なんでアズティック・カメラを!」と。そこで電話番号交換して、後々「さいだぁぶるーす」でベースを弾いてくれるまでに至ると。カジ君が弾いてくれたベースラインは明らかにヒップホップとは違うポップスのもので、それがまた面白いグルーヴを生んでいますよね。
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――ヒップホップって比較的同族意識があるジャンルにも関わらず、かせきさんはデビュー当初から、ワタナベイビーさん、カジヒデキさん、そして、ヒックスビルの木暮晋也さん、キリンジの堀込高樹さんなど、非ヒップホップ人脈にも囲まれていているという、ユニークなポジションですよね。
- かせきさいだぁ
ただ、常々自分の居場所がないなあとは感じていましたよ。でも、それはロック畑からもフォーク畑からも「違う」って言われていた、はっぴいえんども同じだったらしいので、むしろ誇りに思っていましたけど(笑)。この状況、「同じじゃん」と。
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――かせきさんと、他のジャンルの皆さんとは、共通点として、何でつながっていたんですかね?
- かせきさいだぁ
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それは日本の歌謡曲じゃないですかね。ジャンルや普段聴く音楽は違えど、ルーツやベースには歌謡曲があるってことじゃないかと。だから、ずっとあうんの呼吸でやってこれているんだと思います。Baby&CIDER(ワタナベイビーとのユニット)にしても、トーテムロック(木暮晋也さんとのユニット)にしても。
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――そして、セカンドアルバム『SKYNUTS(1998年8月発売)』リリース後、約13年間かせきさいだぁ名義での音楽活動を休止するわけですが。
- かせきさいだぁ
最大の要因としては、『SKYNUTS』のチャートアクションがかんばしくなく、しかも時代の流れもあって、当時の事務所から「お金がかかるから、サンプリングで曲を作るのをやめてくれ」と言われてしまったことですね。かせきさいだぁのアイデンティティ=トラック/リリックの本歌取りのうち、一つが封じられちゃったわけです。ほんと身体が半分もがれてしまった気分でしたよ。だったらライブ盤で出そうと、ツボイ君のDJにエレクトーンTUCKERと3人で2年ぐらいライブやってたんだけど、それも出してもらえなくて。
イリシットツボイ on Twitter
TUCKER 公式サイトじゃあサードアルバムを作るとなると、作曲できる人と組むしかなくて。そこでワタナベイビーや木暮さんとのコラボレーションを試したり、スチャダラパーのSHINCOや堀込高樹に曲を提供してもらったりと、いろいろ試行錯誤したものの、結局かせきさいだぁ名義ではまとまらなくて。
それで「今は思い切って活動するべき時じゃないんだ」と、思い切ってストップさせたんです。
- インタビュワー
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――一方で、先ほどのワタナベイビーさんとのコラボレーションがBaby&CIDER、木暮さんとのコラボレーションがトーテムロックに発展したわけですが、かせきさんにとってポップスのソングライターとがっぷり組んだ経験は、サードアルバム『SOUND BURGER PLANET』以降の曲作りに大きな影響を与えたと思うのですが、いかがでしょうか?実際、セカンドまでは、かせきさんはほとんど作曲にはクレジットされておらず、だからこそ共同作曲者を求めていたはずなのに、今ではバンバン作曲されていますもんね。
- かせきさいだぁ
そうですね。特にワタナベイビーとツアー一緒に回る中で、移動中も一緒に曲作りしたことは、修行になったと思います。その後はメロディが頭にフッと降りてくるようになって。
あとは、Baby&CIDERで、ラップではなく歌を唄うようになったのも大きな転機でした。ツアーの途中ワタナベイビーの喉の調子が悪くなって、いつのまにか僕がメインボーカルみたいになったことも。それが結果的に歌唱力のアップにつながったのかなと。
POMERANIANS(ポメラニアンズ): 下北沢を中心に活動したロックバンドである。2000年結成。2005年ビクターエンタテインメントBabeStarレーベルよりメジャーデビュー。2009年に解散した。 (Wikipediaより)
Dub Master X 公式サイトでも、ラッパーではなく、シンガーとしてふっきれるまでにはもうちょっとかかりましたよ。ひょんなことから、いとうせいこう & ポメラニアンズに絡んで、ツアーにも帯同するようになったんですけど、ポメラニアンズが解散して THE DUB FLOWER に発展する流れで、なぜか僕が「傘がない」を唄うことになったんです。しかもそれが WORLD HAPPINESS 2009 という大舞台ですよ。いとうせいこうさんやDUB(MASTER X)さんは「お前の歌はとんでもなく良いから」と持ち上げてくれるものの、さすがにこの大舞台で「傘がない」はまずいでしょうと(笑)。
でも、もはや断ることができない状況でしたから腹をくくりました。せめてもの抵抗として、モニターに大写しになったとき誰だかわからないように髭を伸ばしてカモフラージュしました(笑)。これが髭を伸ばし始めたきっかけであり、シンガーとしてやっていく覚悟を決めたきっかけ。
- インタビュワー
――13年間に着々と進化していたんですね。そういう意味では、サードアルバム『SOUND BURGER PLANET』は、シンガーソングライターかせきさいだぁとしてのデビューアルバムとも言えるわけですが、何か心境の変化や気負いはあったんでしょうか。
- かせきさいだぁ
言われてみればそうかもしれませんが、自分ではそういう意識はなかったので、驚くほど自然に制作に取り組めた印象です。
でも、歌い方についてはだいぶ研究しまして。『SOUND BURGER PLANET』を作るにあたって、聞き込んだのが細野晴臣さんの『HOSONO HOUSE』、トロピカル三部作とユーミン。ふたりとも人並み外れた歌唱力があるというわけではなく、どちらかといえば「味系」のヴォーカリスト。なのに、無性に聴きたくなるヴォーカルなんです。彼らの曲をカバーしている実力派/味系シンガーたちのヴァージョンは数あれど、どうしてもオリジナルに戻りたくなるでしょう。
かつて、僕は松本隆先生の歌詞の秘密を研究し、いとうせいこうさんのステージングの秘密を研究し、それらを咀嚼して自分のパフォーマンスや作品作りに活かしてきたわけですが、今度は細野さんとユーミンを師匠に、楽器としてのヴォーカルの音の秘密を研究したわけです。
堀込高樹にそんな話をしたら、「えっ、そんなこと考えてやってるの!?」って驚かれましたけどね。
- インタビュワー
――そりゃ驚きますよ。でも、言われてみれば、たとえば楽器演奏者たちは自分の理想のサウンドを求めて日々機材や設定を研究しているわけで、何もおかしなことではないですね。ただ、それをかせきさんが発見できたのは、声も楽器も等しくネタとしてとらえるヒップホップのバックグラウンドによるものかもしれません。それにしても、かせきさんをそんな研究熱心にさせるもの、創作に駆り立てるもの、いったい何が原動力なんでしょうか?
- かせきさいだぁ
シンプルに、好きだからでしょうね。子どもの頃から好きなことしかやりたくなくて、それができないなら死んでもいいとまで思うほど。「一度やる」といったら人に何言われても、テコでも動きませんでしたから。まず、そんな頑固さが第一の原動力(笑)。
子どもの頃から絵では必ず賞を獲っていたのですが、その秘訣があって。下書き終わったあたりで、周囲を見渡すとだいたいみんな同じようなモチーフ、構図で描いているんですね。僕はそれを確認してからあえてみんなと違うことをやって賞を獲っていたのです。そういうニッチなポジションを見つけるのが楽しい。それが第二の原動力です。そんなニッチなポジション取りは、今でも変わっていないでしょう(笑)。