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01 INTERVIEW

加藤丈文少年、ヒップホップに目覚める

2011年、13年ぶりの 3rd アルバム『SOUND BURGER PLANET』を引っさげ、再始動したかせきさいだぁが、1年強のスパンでニューアルバム『ミスターシティポップ』をリリース!引き続きハグトーンズをしたがえ、よりいっそうの「シティポップ」を追求した11曲は、まさに看板に偽りなし!この堂々たる「ミスターシティポップ」宣言をひもとくべく、今回は「子ども時代の加藤丈文君」にまで遡って「ミスターシティポップ=かせきさいだぁ」のルーツに迫るとともに、これまでの軌跡を追いながら、丸裸にしちゃおうという試みです。というわけで、新作の全曲解説付き1万字超ロングインタビュー、はじまりはじまり。

取材・文・撮影/勝又啓太(Sketches of Designkasekicider.com 管理人)

インタビュワー

――「かせきさいだぁ=ヒップホップ」という式が頭にある人にとっては、なぜ今は「シティポップ」を打ち出しているのかピンときていないファンもいると思うんです。そんな中で、いきなり新作『ミスターシティポップ』について語るとなると、さらにはてなマークが飛びかうんじゃないか、それならいっそ、かせきさんのルーツをDIG(掘り返す)することで、その疑問を気持ちよく氷解させて、新作を楽しんでもらいたい!というのが今回のテーマなんですが、まずは定番の質問「はじめて買ったレコードは?」からいきましょう。

かせきさいだぁ

YELLOW MAGIC ORCHESTRA「増殖」YELLOW MAGIC ORCHESTRA「増殖」

宇宙戦艦ヤマトのレコードですね。その後もちょくちょく買っていましたが、衝撃を受けた1枚がYMOの「増殖」。「こんなかっこいい音楽があるんだ。」って驚いたことを覚えています。

インタビュワー

――「デスラー総統」でつながっていますね。かせきさんを語るうえで欠かせないルーツと言えば、松本隆さんですが、そのYMOから、細野晴臣さん→はっぴいえんど→松本隆さんという、たどり方だったのでしょうか?

かせきさいだぁ

いえ、当時はたどりついてないですね。じゃあ、どんな出会いだったかって言うと、はじめに歌詞ありきで。

松本隆 on Twitter

小中学生の頃、テレビの歌番組をよく見ていて毎回思うのが、「松田聖子って、ずば抜けてすごいぞ」ってこと。「でも、それはどうして?」と不思議に思い、よくよく聴いてみて気付いたんです。「秘密は歌詞にある」って。言葉だけで頭に尋常じゃないくらい情景が浮かんでくる、この歌詞こそがすごさの源だと。じゃあ、この歌詞は誰が書いているんだとなりますよね。そこに「松本隆」という表記が光っていたわけです。他の歌手でも情景が浮かぶ曲はやっぱり松本隆先生による作詞で。「ああ、この人か」と、意識的に追っていくうち、初めて聴く曲でも「あっ、これもだな」ってわかるほどになりましたよ。

インタビュワー

――この時点では、まだ自分で音楽はやってないんですよね。かせきさんが音楽を始めたきっかけとは、どんなものだったのでしょう?

かせきさいだぁ

Run-D.M.C.(ラン・ディーエムシー): アメリカのヒップホップ・グループ。ヒップホップ・シーンにおいて黎明期より活躍し、その普及に貢献した。(Wikipeiaより)。

「ベストヒットUSA」を見ていたら、Run-D.M.C. のビデオが流れたんです。高校2、3年の頃かな。これが僕にとって革命とも言えるカルチャーショックで。

まず、ファッション。当時アディダスっていうのは、サッカー部が着るものでしたから戸惑いますよ(笑)。これまでの価値観がぶっ壊されて、「あのアディダスがかっこいいんだ」って。

そして音楽としても、歌にメロディがなかったり、楽器を演奏せずにレコードとマイクだけで客を盛り上げたりと、僕がこれまで聴いてきた音楽とはまったく違うわけ。

ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys): アメリカ合衆国の音楽ユニット。3人のMCを擁するヒップホップ・グループとして有名だが、バンド形式でパンク・ロックやラップロックをも演奏する。白人ヒップホップの草分け的存在(後略)。(Wikipeiaより)。

とは言え、まだこの時点ではファッションとして自分でもアディダスを着たり、ディスコに行ったりというレベルで、自分もラップしようとは思っていませんでした。「ラップなんて黒人にしかできないでしょう」そんな敷居の高さ、あるじゃないですか。

そこをぐっと下げてくれたのが、ビースティ・ボーイズ。白人だし、ラップはヘタウマな感じだし、でもキャッチーで親しみやすかったから、「これなら俺もできるんじゃないか」って思わせてくれる身近さ。パンクのDIY(Do It Yourself=自分たちでやる)精神みたいなものが刺激されたんだと思います。

インタビュワー

――かせきさんにとっての音楽の初期衝動はヒップホップだったと。

かせきさいだぁ

いとうせいこう 公式サイト

はい。でも、いざやってみると、あたりまえの話ですけど、ラップって難しいんですよね。どうすればいいんだろう?そもそも英語でやるの?それとも日本語?みたいな状態。地元静岡から上京する前後の話ですね。

ULTIMATE DJ HANDBOOKULTIMATE DJ HANDBOOK

そんな中、いとうせいこうさんがラップしている「ネッスルの朝ごはん」のCMが耳に飛び込んできました。「わぁ、なんだこれ、こんな風に日本語でラップしている人いるんだ」と。

そのいとうせいこう・タイニーパンクス共著の「ULTIMATE DJ HANDBOOK(1988年12月刊行)」は、当時のヒップホップをやりたい連中は全員持っていたんじゃないかっていうくらいのバイブルだったんですけど、DJのハウツーだけじゃなくて、ラップについても書いてあったので、食い入るように読んだものです。「ふむふむ、ラップは、韻を踏むものなのか」とか、初歩的なところから。とにかく情報が何もない時代でしたから。

話は多少前後しますが、専門学校桑沢デザイン研究所に入学した年の秋(1988年10月)、学園祭でスチャダラパーの初ライヴを目の当たりにします。「おお、学校にラップしている人がいる!」って思わずBOSEに話しかけて。「次はいつやるの?」「クリスマスに教室借りてやるんだ」みたいなやりとりをして。その後、BOSEとは家も近いこともあって仲良くなって、僕も本格的にラップを始めて、いつしか一緒にライヴをするようになりました。

スチャダラパー 公式サイト

当時からスチャダラパーはすごいデモテープ作っていて、完全に別格。僕が「ULTIMATE DJ HANDBOOK」片手に悪戦苦闘する中、彼らはすでに独自の路線を突き進んでいる。ラッパーの大半が英語でラップしている時代にですよ。